こんにちは!ワイポケのKYONです。
こちらでは、私が経営する少人数制スタジオ事業についてのことや、仕事、そして人生の在り方についてお伝えしていきます。
先日、ひさびさに、ちょっと嫌な夢を見ました。
目が覚めたあとに、「あれ、今のは夢だったよな?」と、判断できなかった状態になりました。
妙に現実的で、境目がわからない夢。
皆さんもありませんか?
「ああ、夢だったのか」と理解しましたけど、こんなにも夢を「現実」だと思わせる脳みそにゾッとしました。
そもそも不思議ですよね。夢の中では、結構めちゃくちゃなことが起きています。
場所が突然変わったり、時間がおかしかったり、現実ではあり得ない人が登場したりする。
冷静に考えれば、「いや、夢だろこれ」と気づいてもよさそうなんですけどね。
じゃあ
「現実感」
って何なんだろう。
夢から覚めた直後の僕は、夢と現実を区別できませんでした。
ということは、
「これは現実だ」という感覚そのものも、脳が作っているということになります。
僕たちは普段、目の前に世界があって、それをそのまま見ているように感じています。
でも実際には、
目から入った光、耳から入った音、身体から入ってくる感覚、過去の記憶や経験。
そういった情報を脳がまとめて、
「今、自分はここにいる」
という世界を作っている。
夢では、その材料を外の世界ではなく、主に記憶や感情から作っている。
それでも僕たちは、その世界を現実だと思える。
そう考えると、
僕たちが感じている「現実らしさ」は、思っているほど明確で絶対的なものではないのかもしれません。
人間は「事実」より「感じたこと」を生きているのかもしれません。
同じ出来事が起きても、ある人には最悪な一日で、ある人には大したことのない一日だったりする。
起きた事実は同じでも、そこにどんな意味を与えるかによって、その人が生きている世界は変わります。
もちろん、現実と夢は違います。
でも僕たちは、現実をそのまま受け取って生きているというより、脳が解釈した現実を生きているという感じです。
インストラクターとして言えることなら、自分では良いレッスンをしていると思っている。
参加者を見ていると思っている。求められているものを提供していると思っている。
その「思っている」が長く続けば続くほど、それはいつしか自分の中で現実になります。
そして厄介なのは、間違った思想であっても、自分の中だけなら辻褄を合わせられてしまうことです。これが歪んだ哲学になります。
「今日も盛り上がった」
「みんな楽しそうだった」
「この強度だから効果がある」
「この人にはもっと頑張らせた方がいい」
「常連さんが多いから良いクラスだ」
「自分のレッスンを好きな人が残っている」
という自分の中の現実があるとします。
でも参加者側では、
「ついていくので精一杯だった」
「できなかったけど言えなかった」
「常連さんの輪に入りづらかった」
「先生が楽しそうだから笑っていただけだった」
「運動は嫌いじゃない。でも、このクラスにはもう行かない」
という現実が同時にもしかすると存在しているかもしれないんです。
インストラクターはインストラクターとして経験を積むほど、自分なりの哲学ができます。これは悪くないし、大切なことです。
ただ、
”哲学”は個人の作り出す”思想や念”であるが、”真実”ではないというのが私の考えです。
哲学が仮説ではなく“真実”と思い始めたらこわいです。
「運動とはこういうものだ」
「参加者はこういうものを求めている」
「楽しいレッスンとはこうだ」
「初心者にはこう接するべきだ」
「自分のクラスはこうあるべきだ」
最初は経験から生まれた一つの考えだったはずなのに、長く続けるうちに「現実」に変わっていく。
自分が提供していると思っている価値と、参加者が受け取っている価値は、本当に同じなのでしょうか。
- インストラクターが「運動効果」を提供しているつもり。でも、参加者にとっては「仕事を忘れられる50分」かもしれない。
- 「上達」を提供しているつもり。でも、「自分にもできたという自信」なのかもしれない。
- 「盛り上がるレッスン」を作っているつもり。でも、その人が欲しかったのは「1人だけ置いていかれたりしない安心感」だったかもしれない。
自分の哲学を捨てる必要はありませんが、自分の哲学と参加者の現実との距離を、定期的に測る必要はあると思います。
夢の中のインストラクターになってはいけません。
朝の話に戻ります。
数分もすれば、完全に目が覚めました。
いつもの部屋があって、
いつもの日常があって、
「なんだ、夢だったのか」
となる。
でも少し前まで、僕は別の世界を疑うことなく現実だと思っていました。
あれだけリアルだった世界が、一瞬で「夢」というカテゴリーに移される。
考えてみると不思議です。
人間の脳が、あれほど簡単に「現実」を作れてしまうことが怖いなと思いました。
そして今こうして見ている世界を、
僕が迷うことなく「現実だ」と感じていることもまた、脳の働きによるものです。
いろいろ考えてたら、なんだかもう一度眠たくなってきました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

