こんにちは!ワイポケのKYONです。こちらでは、私が経営する、少人数制スタジオ事業についての事、仕事や自分の人生の生き方についてをお伝えしていきます。
今週は、とてもいろいろあった、一週間でした。その中で、「努力」ということについて考えました。
私たちは日々、懸命に走っています。
仕事、家庭、学び、そして自分自身の成長。
どの方向に向かっていても、全力で挑むときほど、うまくいかない瞬間が必ず訪れます。
段取りどおりに進まない日。
準備したはずの言葉が出てこない瞬間。
練習の成果が見えず、焦りがにじむ日。
でも、まず想像してみてください。
「全力で走っていれば、転ぶこともある。」
前にもブログに出しましたが、私の好きな言葉にこんな言葉があります。
「人間は“途中”の存在である」
人間には、完成でもなく、完璧でもなく、
ただ“生成している途中”――つまり変化の途上にある存在。
だからこそ、転ぶことは不完全さの証ではなく、生きている証拠なのだと思うんです。
転倒の瞬間、心はすぐ自分を責めます。
「どうしてできなかったんだろう」「自分には無理なんじゃないか」「やっぱこれ好きじゃないかも」と。
でも、人生の多くは自分の思いどおりにならない――と思いませんか。
むしろ、転ばずに生きるほうが不自然なのではないでしょうか。
大事なのは、転んだの要因よりも、転んだ後の“向き”。
向きが合っていれば、一歩は小さくても前進です。
レッスンの場でも、
バランスを崩したり、いまいち動きがうまくできないことがあります。
しかし、そのたびに私たちは呼吸をひとつ整え、フォームを立て直し、もう一度戻ってきます。
ここに人生の縮図があります。
「転びながら進む者にこそ、生の躍動がある」という言葉があります。
完璧に振る舞う人より、苦しみながらも姿勢を整え直す人のほうが、ずっと生命力に満ちている。
ずっと人間らしいし、成長の過程を感じられる。
「戻る力」こそ、人間の強さの源なのです。
転んだ瞬間にこそ、人生が問われます。
- うずくまるのか
- 投げ出すのか
- 息を深く吐くのか
- 土を払うのか
- 痛みに手を当てる(“手当て”とは本来こういうこと)のか
- 顔を上げるのか
- そして、一歩だけ出すのか
完璧に再開する必要なんてない。
ただ、再開する人に戻れたらそれで十分。
転んだ場所は、恥ではなく、
未来の自分への“地図”になります。
失敗は敵ではなく、未来の自分を助けるヒントになります。
「人は不条理の中で、それでも歩くからこそ強くなれる」と私は信じています。
同じ場所で転んでも、痛みは前より浅く、起き上がりは前より早い。
転び方が上手になることも、立派な成長。
倒れた自分を受け入れるたびに、あなたの人生の器は静かに広がっていきます。
そう努力する、ワイポケのキッズたち、大人の皆さんを私たちは全力で応援していますし、私たちも全力で進んでいきます。
そんな話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

