こんにちは!ワイポケのKYONです。こちらでは、私が経営する、少人数制スタジオ事業についての事、仕事や自分の人生の生き方についてをお伝えしていきます。

「私リズム感無いんですよ。だからレッスンは向いてないと思うんです。」

毎週レッスンに行くジムのあるメンバーさんからそんなことを聞いて感じたことです。

インストラクターの方なら、一度は耳にする言葉では無いでしょうか。

それ以外でも、よくよく日常会話には出てきますよね。

「昔から運動音痴でさ。」

「子供の頃から、グリーンピースが苦手なんですよね。」

「もともと、本とか読めない人間なの。」

本当にそうなのでしょうか?

今はどうなのでしょうか。

思い込みという「見えない壁」。

人は、目に見えるものだけでなく、「自分がそうだと思っていること」によって世界を見ています。

たとえば、「自分は運動が苦手」「リズム感がない」「あの人はきっと自分を嫌っている」――。

これらは実際の真実ではなく、自分がつくり出した“解釈”にすぎません。

これは「確証バイアス」と呼びます。

自分の考えに合う情報ばかりを集め、都合の悪い事実を無意識に排除してしまう傾向のことです。

つまり、人は“見たいものだけを見て”世界を理解してしまう。

けれど、その「見えない壁」を少し取り払ったとき、

今まで閉じ込めていた可能性が静かに顔を出します。

私が前に読んでいた本にて、ある詩人のこんな言葉があったのを思い出しました。

「真実を見つけるより、妄想を取り払う方が人は賢くなれる」――ルートヴィヒ・ベルネ

この言葉は、私たちが“正しさ”を求めるあまりに、

自分の中に積もっていく“思い込み”に気づけなくなる怖さを教えてくれます。

「正しい答えを探すな」と言っているわけではありません。

むしろ、「自分の中の前提を疑ってみなさい」というメッセージです。

「正しさ」よりも、「疑う力」。

たとえばレッスンの中で、「私はこの動きができない」と思っていたメンバーが、

ふとした助言でフォームを変えた瞬間、軽々とできてしまうことがあります。

それは“身体の変化”ではなく、“思考の柔軟さ”がもたらした変化です。

「できない」は、真実ではなく、思い込みであることが多いです。

そして、その思い込みを手放したとき、人は一気に前へ進む力を取り戻します。

私が学ぶビジネスコミュニティでも、「無知」を知り、「概知」を知る。という学びがあります。

これは古代ギリシャの哲学者ソクラテスの説いた「無知の知」と同義です。

“自分が何も知らない”と自覚することが、知の出発点だと。

詩人ベルネの言葉も、その延長線上にあります。

対人関係についても同じだと思います。

私たちは常に、自分の周りにいる人たちを自分の解釈というレンズで比較しています。

そしてそこに、自分の思い込む「真実」を上乗せしたとします。

• 自分の考えが絶対だと信じる

• 相手の事情や感情を軽視する

• 異なる価値観を受けいれにくくなる

「真実を見つける」ことは、しばしば“他者を説得しようとする力”を生みます。

これにより、

「相手を理解する」よりも「相手を説得する」ことが目的になってしまいます。

反対に、「妄想を取り払う」ことは、“自分を見つめる力”を育てます。

• 思い込み

• 不安

• 固定観念

• 自分を縛る信念

これらを取り払うほうが、人は柔軟になり、他者を尊重できることができると思います。

それこそが、“賢さ”の本質だと思うのです。

外の世界を変えるよりも、

自分の内側の世界を研ぎ澄ませる行為。

それこそが、成熟した知性の証ではないでしょうか。

誰かと比べないこと。

できない自分を責めないこと。

そして、「こうでなければ」「私は悪く無い」という思考を少し緩めること。

それが、心と身体の柔軟性を取り戻す最初の一歩なのかなと思います。

真実は、削ぎ落とした先にある

新しい自分は“積み重ねるもの”ではなく、“削ぎ落としたあとに残るもの”だということ。

自分の中の固定観念をひとつ手放すたびに、

世界は少し広がり、人との関係も、自分自身への理解も、柔らかく深まっていきます。

「レッスンは向いていない。」

そう言っていたメンバーさんは、レッスンに参加した後、

「思ってたより楽しかった。また来週来ます。」

そう言ってジムを後にしました。

日々、要らなくなった自分を削ぎ落として、新しい自分に出会いましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。