こんにちは!ワイポケのKYONです。こちらでは、私が経営する、少人数制スタジオ事業についての事、仕事や自分の人生の生き方についてをお伝えしていきます。
先日、結婚記念日を迎えました。
毎年この日がくると、「あっという間だなぁ」と振り返りつつも、自分への反省もあります。
同じ時間を重ねてきたはずなのに、ふとした瞬間に感じる“わからなさ”に少し戸惑う自分がいます。
一緒に暮らして、同じ食卓を囲んで、笑ったり喧嘩したりしながら歩んできたはずなのに、
あるときに「こんな考え方をするんだ」と驚いたり、いつもの何気ない会話の中で「そういう価値観もあったんだ」と気づかされたり。
何年経っても、「全部わかっている」とは言えない。
それどころか、まだまだ私が理解できていない一面がたくさんあるんだろうな、と記念日を迎えるたびに思わされます。
そんな“わかり合えなさ”に、以前の私は少し不安もあったと思います。
「長く一緒にいるのに、どうしてまだ理解できないんだろう?」
ある著書にこんな言葉があります。
「他者は、完全には理解できない存在だ」
長く一緒にいようと、同じ毎日を過ごしていようと、相手は常に“わからない他者”であり続ける。
そして、その“わからなさ”を前提にしたとき、初めて本当の対話や信頼が生まれるのだと。
この考えに触れると、不思議と肩の力が抜けます。
わからないからこそ、今日も相手に耳を傾け、問いかけ、応えていく。
「わからない」という事実を受け入れることは、決して距離を生むわけではなく、
むしろ関係をしなやかに、そして温かくするということ。
“わからなさ”を受け入れた先にある、静かな信頼
理解しようと必死になっていた頃は、
「あなたはこういう人だよね」と勝手に枠をつくり、
思い通りにいかないときには小さな苛立ちが生まれていました。
しかし、著書にある一文に、
「わかろうとしすぎず、わからない相手に今日も出会い直す」
というスタンスに変えてみたとき、少しずつ関係の空気が柔らかくなっていくのを感じました。
わからないからこそ、相手の言葉に耳を傾ける。
わからないからこそ、「そう考えていたんだね」と素直に驚ける。
わからないからこそ、毎日が小さな発見の連続になる。
その積み重ねの中で生まれる静かな信頼は、
“全部わかっている”という安心感よりも、ずっと深くて心地よいものでした。
フィットネスにも流れる“他者性”。
この気づきは、レッスンでも似て非なるものがあります。
レッスンを始めたばかりの頃は、
「みんなを同じ方向にまとめたい」
「全員が楽しめる空間を作りたい」と、
自分の理想に向かって一生懸命“仕掛ける”ことばかり考えていました。
でも、よくよく目の前の参加者たちを見てみると、それぞれ違う目的や気持ちでこの場に来ていることに気づいたのです。
・リハビリのために自分のペースで動きたい人
・育児や仕事の息抜きとして参加している人
・ただ音楽に合わせて身体を動かすことが好きな人
・目的を明確に持ち、研鑽していきたいという強い思いがある人
同じクラスにいても、みんな“違う理由”と“違うリズム”でここにいる。
その“違い”を理解しようとしすぎていた頃は、どこかクラス全体がぎこちなく、
私自身も「うまくまとめなきゃ」と力が入っていました。
そんなとき、ふと思ったのです。
「理解しようとするより、今この場で応答しよう」
うまく動けない人がいても焦らず、
楽しみ方がそれぞれ違っても無理に揃えようとせず、
ただ「その人がそこにいること」に目を向けて応えていく。
すると私なりの感覚ですが、
クラスの雰囲気が少しずつ柔らかくなっていきました。
誰かの動きがズレても気にせず、
お互いに自分のペースを尊重し合う、温かい空気が流れていたのです。
わからないまま、共に生きる
“他者”とは、どれだけ時間を重ねても、完全にはわかり合えない。
でも、だからこそ――今日も相手に丁寧に応答し続けることができる。
「どうしてまだ理解できないんだろう?」と悩んでいたあの頃から、少しずつ視点が変わった今、
“わからなさ”の中にある豊かさに気づけたことが、何よりのギフトだと思っています。
わかろうとすることをやめずに、
でも「わからないこと」を恐れずに。
お互いの違いを受け入れながら、これからも一緒に歩んでいきたい――
そんな想いを胸に、また新しい一年を重ねていきます。
レッスンに参加するメンバーさんのすべてを知ることはできません。
でも、相手の“今”に心を向けて応えることはできます。
わからないまま、共に生きる。
その旅の中にこそ、関係を育てていくためのヒントがあるのかもしれません。
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今日もそれぞれのペースで、“わからない誰か”に優しく応答できる一日になりますように
最後まで読んでいただきありがとうございました。