こんにちは!ワイポケのKYONです。こちらでは、私が経営する、少人数制スタジオ事業についての事、仕事や自分の人生の生き方についてをお伝えしていきます。

最近ミット打ちのレッスンをしていると、たまにこんな瞬間があります。

「あ、今ちょっと近いな」
「いや、今度は遠いな」

フォームが崩れているわけでも、力が足りないわけでもない。
ただ、距離が合っていないんです。

近すぎると、腕が詰まってうまく振れない。
遠すぎると、思いきり打ってもミットに届かない。
それどころか、距離を誤ると打ちにくいし、ミットを意識しすぎると変なところに力まで入ってしまいます。

でも不思議なもので、「ここだな」という距離に立てた瞬間、特別意識しなくても、自然といい音が鳴るんです。

力んでいないのに、当たる。
無理していないのに、当たる。

ミットを持ちながらいつも思います。
距離感って、技術なんだなって。

同時に、これって人との関係にも、すごく似ているなとも感じるんです。


人にはそれぞれ、
「これ以上近づかれると、ちょっと不快だな」
という距離があります。

いわゆるパーソナルエリアですね。

文化人類学者のエドワードさんという人の研究です。

彼は、人と人との距離を大きく4つに分類しました。

  • 密接距離(約0〜45cm)
    家族や恋人など、ごく限られた関係にのみ許される距離
  • 個体距離(約45cm〜1.2m)
    友人や信頼関係のある相手との距離
  • 社会距離(約1.2m〜3.5m)
    職場や初対面の人との適切な距離
  • 公共距離(約3.5m以上)
    講師と聴衆など、不特定多数との距離

身長差などあるので、平均ですが、パンチを伸ばした距離が1~1.2m程度なので、ミット打ちで適切な距離感は個体距離の空間になります。


この距離ですが、「気持ち」ではなく「身体が先に反応する」感じが日常でも多いのではないでしょうか。

近づかれた瞬間に、理由は分からないけど落ち着かない。
ちょっと構えたくなる。呼吸が浅くなる。

それは、身体が
「ここから先は近いよ」
と教えてくれているサインだったりします。


人間関係で悩むとき、
私たちはつい
「もっと距離を縮めなきゃ」
「分かり合わなきゃ」
と思いがちです。

でも、距離を縮めること=良好、というわけでもありません。

むしろ近づきすぎることで、

・相手の領域に踏み込みすぎてしまったり
・分かったつもりになってしまったり
・無意識に相手をコントロールしようとしてしまったり

そんなズレが生まれることもあります。


話は、少し変わりますが、日本文化には、昔から「間(ま)」を大切にする考え方があります。

話しすぎない。近づきすぎない。
でも、突き放さない。

沈黙にも意味があり、空白にも温度がある。という感性です。

「何もしていないように見える時間」
「あえて踏み込まない距離」
そこに相手への敬意や配慮を込める。

元来ある日本の感性においては、曖昧さではなく、相手を“完全に理解しきれない存在”として扱う、
とても成熟した態度だと思います。

全部分かろうとはしない、全部踏み込まない。でも、ちゃんと気にかける。

この「分かりきらなさを残す距離」こそが、
関係を壊さず、長く続けるための間なのかもしれません。


そして、この「間」の感性は、やっぱりミット打ちと同じだなと思うんです。

いい打撃が生まれる距離って、毎回決まっているわけじゃありません。

相手の体格、腕の長さ、人によって違うのでそれを感じ取りながら、少しずつ距離を調整していく。

近すぎれば、力は出ない。
遠すぎれば、届かない。


距離感や間は、センスではなく、磨いていく感性なのだと思います。


人との距離感も、ミットとの距離感も、結局は同じ身体感覚の延長線上にあります。

この感性を育てることは、
身体を守ることでもあり、
心を守ることでもあり、
関係性を守ることでもある。

そんなことを、日々のレッスンの中で、ふと思った一週間でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。