こんにちは!ワイポケのKYONです。こちらでは、私が経営する、少人数制スタジオ事業についての事、仕事や自分の人生の生き方についてをお伝えしていきます。
私たちの職業は、厳密には資格がなくても成立してしまいます。
極端な話、今日からでも看板を掲げれば「トレーナー」と名乗れる、ということです。
良い悪いの話ではなく、それが現実です。
そして、慣れてしまえば成立してしまう職業でもあります。
だからこそ、最近メンバーさん達との会話の中で聞いたいくつかの話が、少し引っかかりました。
グループで行う、マシンピラティスのスタジオに通っているという話でした。(流行ってますよね〜)
そこでは、来店して、着替えて、レッスンを受けて、帰るまで、誰とも会話をしない。そうです。
また、「ここをニュートラルに〜、ニュートラルを意識〜」。という指導。(どこがやねん!笑)
グループレッスンであっても、空間としての関わりはほとんどない。
横文字使って、わからせようとしない。
これはマシンピラティスの是非を問う話ではありません。
ただ、その空間を「良し」として成立させているトレーナーの姿勢について、割と深く考えてしまいました。
運動指導の世界では、
・見た目が整っていること、
・動きが洗練されていること、
・マシンやプログラムが“それっぽい”ことが、専門性のように受け取られてしまう場面があります。
一方で、生理学や解剖学に基づいた理解は、外からはほとんど見えません。
だからこそ、
「きつい=効いている」
「痛い=正しい」
そんな感覚が、知らず知らずのうちに正解になってしまう気がします。
よく耳にする言葉があります。
たとえばストレッチも、「痛いくらい伸ばさないと、意味がない」
こういうことも伸張反射を理解しているのか?
強いストレッチの後、一時的に可動域が広がったように感じることがあります。
しかしこれは、筋肉そのものが大きく変化したというより、
痛みや伸びている感覚の閾値が一時的に変わっているケースがほとんどです。
それを理解しているのか?
言い換えれば、
「伸びた」のではなく、
「伸び感を感じにくくなった」だけ。
この状態を繰り返すと、神経系は「この動きは危険だ」と学習し、
結果的に身体は元に戻ろう、あるいはそれ以上に守ろうとします。
それを理解しているのか?
現在の運動生理学やリハビリテーションの分野では、柔軟性の向上には、筋組織そのものよりも、
神経系の適応が大きく関わると考えられています。
だからこそ重要なのは、
・呼吸
・落ち着く伸び間
・徐々に伸ばしていくゆっくりとした時間
身体が「動いても大丈夫だ」と理解できたとき、初めて可動域は安定して広がっていきます。
これは、流派やメソッドの話ではなく、人間の身体の反応としての話です。
これが、私の得た学びから提供するストレッチです。
マシンピラティスも、筋トレも、ストレッチも、
本来はすべて「道具」にすぎません。
大切なのは、
何をやっているかではなく、
どこまで理解した上で、その人に提供しているか。
これは技術の問題以上に、姿勢の問題だと感じています。
これも余談ですが、フィジークやベストボディなど、
大会実績をきっかけに認知を広げ、そこからトレーナー業を始めるケースも増えていると聞きます。
誤解のないように、大会に出場すること自体を否定するつもりはありません。
自分自身の身体と真剣に向き合う行為は、尊いものです。
ただ、
自分の身体を変えたことと、
目の前の誰かの身体を預かることは、
まったく別の土俵にあります。
「自分はこれで変わった」は、万能ではない。ということです。
人の身体は、
遺伝、生活環境、既往歴、心理状態など、驚くほど多様です。
「これは食べない」
「これだけやっていれば痩せる」
そうしたシンプルなロジックは、自分には当てはまったかもしれない。
けれど、それをそのまま他人に当てはめることは、少し乱暴で、少し傲慢でもあります。
そんな情報は残念なことに、情報過多のこの時代に多く溢れています。
自身と戦うことと、人を救うことは違いますね。
誰でも名乗れる時代だからこそ、私たちインストラクターはは考え続ける必要がある。と思っています。
派手さよりも、流行よりも、薄れない姿勢を選びたい。
人の身体と人生に触れる仕事をしている以上、軽くなってはいけない。
これからも私が存在する、「意義」を見つけていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

