こんにちは!ワイポケのKYONです。こちらでは、私が経営する、少人数制スタジオ事業についての事、仕事や自分の人生の生き方についてをお伝えしていきます。
最近、ある人と会った時に、「素直な人だなあ」と改めて感じました。
謙虚で、礼儀正しく、そして無邪気さもある。
こう何か、「その人自身をしっかり表現されている方」だなあと、感じました。
でも、それはその人自身の「素」なのですかね。
私や他の人と会う時や、プライベートでも見せるその「素直さ」には、しっかりとしたフィルターをかけているからこそ、他にネガティブさを与えないのではないでしょうか。
つまり、
「素直」と「素」は、似ているようで全く違うという事だと思っています。
「ありのままの自分でいい」
「素の自分を見せたい」
こんな言葉はよくありますよね。
多様性、多様性と言われる時代にこの解釈を間違えてしまうと、「なにも生産できない自分」ができてしまうと感じます。
みんな違ってみんな良い。
これは正しいと思います。
自分の欠点や未熟さを直そうともせず
「これが私だから受け入れて」と相手に委ねてしまうことは、少し違うのではないかなと。
あの、もののけ姫の美輪明宏さんも、同じようなこと言ってた気がする。。
と思ってうろ覚えなので検索したら、やはり同じようなことを言っています。
『”ありのままの私を受け入れて”なんて、ありのままのお前がなんぼのもんじゃいっていうのよ。例えば、大根だって泥を落として、皮をむいて千切りにするなり、ちゃんと料理してお皿にもって「はい、召し上がれ」って。それで美味しく受け入れられるでしょう。畑から抜いたままの泥だらけの大根を突き出して、さあ食えって、失礼だと思わない?人格も同じですよ。礼儀作法も何も洗練されたものがなくてありのままでとか、けだものじゃありませんか』
よく考えてみると、
生まれてからずっと一緒に過ごしてきた親とですら、完全に分かり合えないことはたくさんあります。
育った環境も、価値観も、経験も違う赤の他人に、
「ありのままの自分を全部受け入れてもらえる」
それって、実は奇跡に近いことなのかもしれません。
自分の汚れは落としてから相手に向ける自分という存在。
なにかまた、考えが改まるようなことを思ってみました。
ワイポケのキャッチフレーズにも、
「もっと、自然に、自由に、ワイルドな1日を。」
という言葉があります。
自然に自由な中に、メンバーさんたちそれぞれの配慮や心遣い、気配りがあるからこそ、居心地の良いコミュニティが生まれるんだなと思いました。
最後まで読んでいだだきありがとうございました。

