こんにちは!ワイポケのKYONです。こちらでは、私が経営する、少人数制スタジオ事業についての事、仕事や自分の人生の生き方についてをお伝えしていきます。
私は先日、あるメンバーさんと家族についての話題について話していました。
人は本能的に、誰かを守りたいと思う生き物だと思います。
親が子を守るように、インストラクターがメンバーを導くように、
相手の安全を願い、困難から遠ざけたいという思いは自然なものです。
けれど、守ることと、手放すことは、時に紙一重です。
手を握り続ければ、相手の自由を奪い、
早く手を離せば、まだ立つ力を育てきれない。
その“境界線”をどう見極めるか。
ここに、人が人を育てる難しさと美しさが潜んでいます。
守ることと束縛のあいだ
夏目漱石の有名な『こころ』では、「先生」が「K」を守ろうとする優しさが、結果的に他者を追い詰めてしまうという人間の矛盾がでている側面がありました。
文学はしばしば、“守る”という善意が、相手の可能性を閉じてしまう瞬間を教えてくれます。
「愛するとは、互いの孤独を守り合うことだ。」
この言葉には、深い含意がありますね。
愛とは、相手の自由を尊重しながら、孤独をも受け入れる覚悟。
「守る」というのは、相手の“自分で立ち上がる力”を信じて待つことでもあるのです。
たとえば私には来月で6歳になる息子がいます。
息子にも、世界を探索し、自立していけるように、“完全ではない環境”をあえて用意するという考え方です。
守りすぎず、放り出しすぎず。
子どもが失敗や不安を経験しながら、自分の力で問題を乗り越える余白を与える。それが「ほどよさ」です。
レッスンの一間でも、あえて言葉によるリードをしない時間をつくる。
メンバーさんの中には、次なんだっけ?という不安、けれど、その挑戦の中に生まれる「自己効力感」“自分にもできるかもしれない”という感覚が芽生えます。
できない経験を避けず、挑戦を見守ることが、真の成長を支える土壌になるのです。
手放すことは“放棄”ではなく、“信頼”の表現に近いです。
守られているだけでは得られない「自分の足で立つ力」は、この不確かな過程の中でしか育たないのです。
親が子を見送るように
インストラクターが参加者と共に時間を過ごすように。
ワイポケでも、誰かが挑戦する姿を、他の誰かが見守っています。
できない動きを応援し、少しずつ上達していく過程を一緒に喜ぶ。
それは「守る」と「任せる」が共存する、温かな空間です。
失敗を責めず、成功を分かち合う。そこに、人と人の信頼が生まれます。
私たちは、守られながら育ち、やがて誰かを守る側になる。
そしてまた、手放す勇気を学んでいく。
その循環が、人生の中で人間力を磨いていくのだと思います。
そんなことをメンバーさんとの対話の中で気づかされました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

